約 1,883,999 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2041.html
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/3616.html
登録日:2009/06/27 Sat 13 00 05 更新日:2024/03/04 Mon 19 35 35 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 三国志 三国志演義 三國無双 中国史 前漢 劉備 劉協 司馬懿 司馬炎 呉 孫権 後漢 教科書では二行あれば充分 晋 曹操 漢 蜀 陳寿 魏 魏志倭人伝 魏晋南北朝時代 《三国志》は、巨大で豪壮な、凄まじくも儚い物語である。 あらゆる才能と志が活躍し、生き場を求め、散っていく。三国の時代からはるか後の現代でも、私たちは彼らの生き様と死に様に心惹かれ、没頭してゆく。 大まかな流れは三国志【年表】を参照。 なお年代記的には「三国時代」ではあるが、続く時代もひっくるめて「魏晋南北朝時代」とまとめられることも多い。 そして一つ押さえておきたいこと、この頃の日本は邪馬台国の時代。 当時の中華文明がいかに先進的だったか、この一事だけでも十分に理解できるだろう。 【成立】 『三国志』の原典は晋王朝に仕えた蜀出身の史官・陳寿が編纂し書き記した、正史『三国志』全六十五巻を言う。 しかし、物事を淡々と簡潔に記してあるだけなので、良くいえば「簡明」、悪くいえば「無味乾燥」で、面白いものではない。 そもそも正史『三国志』は歴史書である。 読者を楽しませるために書かれたものではなく、歴史的事実を端的に記述することを目的としているので当然なのだが、 この歴史書を参考にし、庶民にもわかりやすくした娯楽小説、それが『三国志演義』である。 大胆な脚色とわかりやすい位置付け、怒涛のストーリー展開で民衆の心を掴んだ。 こちらは娯楽本という性質の違いから、虚構と事実が入り混じり、多くの俗説を取り込んだ為どっちつかずの部分も多々ある。 重要なのは、 正史のすべてが必ずしも事実だとは限らないということ と、 演義が必ずしも虚構だけの物語ではない ということを胸に刻んでおくことである。 むしろ中国人の思想、とくに庶民の思想も多く取り込まれており、その意味では文化的な意味で重要な「野史」ともいえる。 『三国志演義』は東晋、宋初期に仕えた裴松之(はいしょうし)が注を付けた『裴松之注三国志』が原作に近い。 これは陳寿の『三国志』に、後漢、蜀、呉、魏の逸話や民間伝承、魏にとって不利な事実(記されていないもの)が大量の追記がされ注が付けられており、伝承なども書かれている。 これを参考に民間で講談師や劇作家が面白く創作し、多くの人物像が形成されたり省略されたりして理解しやすく改変し、民衆に親しまれることとなる。 『三国志演義』の作者は一四世紀、明の時代の《羅貫中》(らかんちゅう)という人で、三国鼎立の時代からは千年余の時間が過ぎている。 これは小説で、フィクションが混ざっている。むろん、物語の基軸は史実に基づいてはいるが、三~四割程度が創作である。 それらのフィクションも、羅貫中自身が作り上げたというよりも、千年の永きに渡り庶民の間で広まっていた伝説などがベースである。 面白いエピソードばかりを採用したのだから、『三国志演義』がつまらないわけがない……と言いたいところであるが、どうであろうか。 『三国志演義』の最大の特徴は、歴史書版『三国志』では敗北し滅亡する側の蜀皇帝・劉備、その軍師・諸葛亮を主人公とし、大国魏の曹操を最強最悪の敵役とした点であろう。 いわば、悪が栄え、正義が滅んでいくという悲壮なるドラマに完全に仕立てあげた。 これは庶民に受けた。さらには海を越え時代を超えて、日本人にも親しまれた。 というわけで、一般的に《三国志》という場合、もともとの歴史書ではなく、『三国志演義』のことをいう。 創作における三国志 多くの人々に親しまれた三国志(三国志演義自体が創作でもあることはさておくとして)。 小説や漫画、ゲーム、映画などの題材に選ばれることも少なくない。 現在の日本でもっとも著名な三国志といえば、吉川英治氏の小説、そして吉川版を原案とした横山光輝氏の漫画作品だろう。 三国志演義を大元に据え、英雄たちの興亡を描いた大作である。 なお、最後に希望があるみたいな終わり方をしているが、それは地獄への入り口だ。 娯楽小説として親しまれてきた『演義』系作品の一方で、正史の『三国志』をベースにしている作品も現れた。 李學仁原案・王欣太執筆の漫画『蒼天航路』は掴み所の無い、快活だが冷徹な快男児・曹操と魅力溢れる英雄たちを豪麗に描き、 北方謙三の小説『三国志』では《男》の生き様と死に様とは何かを突き詰めて書いており、 宮城谷昌光の小説『三国志』では後漢王朝の腐敗の要因、政治の要諦とはなにかを、つまびらかに著している。 どの作品も、一度は読んでいただきたい作品である。 一般的な理解に対して、まったく異なる独特な観点で描いているのが安能務の小説『三国演義』。 作者のリンク先項目も参照してほしいが、戸籍登録人口の少なさに象徴される当時の社会情勢に着目し、曹操や孔明などの「英雄」たちが実は歴史を変える力を持たない、非力な存在であったという、一風変わったビターな三国志が描かれる。 ゲーム分野では、Koeiの戦略シミュレーション『三国志』シリーズや、英雄たちを操り押し寄せる敵兵を豪快になぎ倒すアクションゲーム『真・三国無双』がその筆頭だろう。 ユーザーの間で演義系・正史系の双方が認知されていくにつれ変化していった作中における人物像もまた興味深い。 映画は2008年・2009年に二部構成で公開されたジョン・ウー監督作品《レッドクリフ》が記憶に新しい。 その評価と賛否は分かれるものの、当時の雰囲気のようなものは伝わったのではないだろうか。 (レッドクリフ登場人物の髪型などは当時の風俗を忠実に再現している) またレッドクリフよりもはるか以前に作られた、中国中央電視台による国営版「三国演義」も映像モノとしては有力。 なにせ黄巾の乱から三国滅亡まで、全編を網羅している超大作。 馬から城郭から赤壁戦艦群から、すべてが1/1スケールで再現されたという徹底ぶり。CG? んなもんありません。 ただしあまりに大作すぎて視るのは大変だが。 【英雄たちの人物像】 《三国志》には数多の英雄たちが現出するが、彼らの実像は歴史の混迷に遮られていてよくわからない。 だが、逸話のなかで部分的に垣間見える姿形も有る。 以下は英雄たちの実像に、少しだけ迫ってみたものである。 【劉備】 《三国志演義》では彼は徳の将軍、皇室の末裔とされ、善の象徴のような人物で、大義を掲げ民を救うために各地を奔走する。 実際は奔走するというより転げ回ったといったほうが的確だが、 彼は関羽や張飛といった剛勇の士を義兄弟として、諸葛亮や法正などの知謀の士を従えたことから、やはり尋常ならざる人物だといえる。 時代を見通す眼を持ち得なかった人だともいえるが、諸葛亮という眼を手に入れた彼はついに蜀を建国した。 放浪の末に国を手に入れた彼は、並々ならぬ《意地》の英雄ではなかろうか。 ちなみに見方を変えると「行く先々で裏切りを繰り返しながら臆面もなく偽善者ぶり、ついには皇帝になったしぶとい権謀家」とも見れる。 呂布いわく「こいつが一番信用できないんだ!」 【孫権】 父・孫堅、兄・孫策の遺した基盤を継ぎ、着々と勢力を拡大した。《三国志演義》では狭量な策謀家として描かれ、劇的な描写は少ない。 曹操のように自ら前線で指揮を採ることは少なく、統治能力、政治に長けていたことも起因するのではないだろうか。 実際の彼は異民族をよく治め、山越(呉の山領を住み処とした族)の若者を配下に加えている。 父兄の死を乗り越え、臣下の分裂も許さず、若くして君主権力の強化に努めた。 《和》を保ち《謀》を打ち出した彼は、偉大なる君主と呼んで差し支えないだろう。 ただし、晩年は除く 【曹操】 迷宮のような人格の人である。 最大の権力を持ちながら、劉備、孫権のように皇帝の位に即かず、あくまで漢を倒さなかった。 四海の群雄を滅ぼし、中華で最大最強の国を作り上げた彼がなぜ、最上の地位に即かなかったか。 それを知れば、やがて曹操という英雄の実像が見えてくる……と言いたいのだが、《三国志演義》で悪役として定着した彼の姿はやはり、簡単には拭えない。 武と智を併せ持ち、魏国を建てた曹操はやはり、乱世の奸雄であった、ということだろうか。 【三国志の魅力とはなにか】 人の持つ夢や憤慨の念はいつしか大地を揺るがし、天を衝き動かす。 動乱に立ち向かう民衆の勇姿に震え、平和を願いつつ戦う英雄たちの一挙一動に握りこぶしを作る。 限りの有る人生をどう生きるか、決断を迫られたときどうするか。決断を下した者たちの、溢れんばかりの生の力。 これが、三国志が人々を惹きつけてやまぬ所以ではないだろうか。 追記、修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 曹操で始まり孔明に終わる あるいは 董卓が引き起こし 司馬氏が納める かな -- 松永さん (2013-10-31 00 16 45) 現実の孔明って、曹操やかませにされた連中からすれば、劉備のとこにそんなのがいるらしいな、って程度らしい……。 -- 名無し (2013-10-31 00 37 01) つか孔明って軍略家じゃなくて政治家って話じゃなかった? -- 名無しさん (2013-10-31 00 46 31) 政治家だよ、実際には軍を率いる事は上手く出来ても演義でやってた奇策を持って敵を打ち破るってのは苦手だったらしい 因みに人を見る目がないってのは武官系の話で孔明が見付けた文官はよく仕事してる -- 名無しさん (2013-10-31 06 07 01) DMCの作者は「どの勢力に属するか」との問いに「全部」、「好きな武将は?」との問いに「知らない」と答えている。 -- 名無しさん (2013-11-01 16 33 05) 最終的には三国どこも天下を取れず新しく出て来た別の国が大陸を統一する…諸行無常だなぁ -- 名無しさん (2013-12-05 08 37 39) ↑×5諸葛氏は瑯邪郡出身なんだけど、この辺りの土地は結構名士を排出してる土地なんよ。で当時の名士は、敵味方に別れても意外と手紙のやり取りとか普通にしてたりするんだよね。瑯邪出身の諸葛氏の一族ねって事で多少は知名度はあったと思われ。実際諸葛氏は三国の全てに一族いたし、当時の名士の情報網てゆーか交友関係って侮れないよ。 -- 名無しさん (2014-02-18 00 28 47) ↑同意。というか孔明って、一族の単位で語られるのが少ないんだよね… -- 名無しさん (2014-08-13 18 53 47) 孫権は褒めすぎだろ -- 名無しさん (2014-10-20 22 00 24) 孫権は晩年がもうマジキチ -- 名無しさん (2015-01-04 00 46 09) 最近は劉備より曹操を中心にする傾向が有るように感じる、最近の中国大作ドラマな三国志では曹操が主人公みたいな感じだった -- 名無しさん (2015-01-04 01 29 16) 今更だが何で三国志演義では正義の劉備VS悪の曹操って感じに描かれたんだろうな。歴史的には勝者は曹操とされているのに… -- 名無しさん (2015-03-31 22 03 09) 思えばハマった切っ掛けは中学の図書館で読んだ横山光輝三国志だわさ。 -- 名無しさん (2015-03-31 22 20 00) ↑↑ 中国は儒教国家だから。儒者の人たちは基本的に王朝=正義って感じだから、簒奪者とか反乱やってる連中はクズ扱いする。 -- 名無しさん (2015-04-01 00 51 25) 強いものがいて、しかし「英雄」はおらずって感じですね。 最近は演義で正義だったものがただの群雄だったりクズだったりする -- 名無しさん (2015-04-01 10 52 19) 曹魏の後継の晋がアレだったってのも一つの要因だろうな>正義の劉備VS悪の曹操 -- 名無しさん (2015-04-01 11 05 25) 究極的に言えば勝者はいないんだろうけどな。晋ですら早々に滅ぶし -- 名無しさん (2015-12-15 18 05 14) 日本史でさえ手を焼くのに海外にも目を向けろとか無理ぽ。コーエーのゲームも一切興味ないし -- 名無しさん (2016-02-02 13 04 26) ↑3、5、7 元々正史自体が蜀の文官が記載したもの(実際劉備に対しては好意的に記載している)である事、丁度演技が作られた時期がモンゴル民族の支配下で漢民族が弾圧されていた事で劉備側に感情移入しやすかった事と純粋な判官贔屓が合わさって劉備側が正義と描写されたんだと思う。 -- 名無しさん (2016-02-26 21 18 47) ↑2 よしわかった。まずは『独眼竜政宗』からはじめようかw -- 名無しさん (2016-09-16 11 27 22) 曹操は快活なダークヒーロー、劉備は聖人君主ってどちらもポジティブな視点で描いた作品の方が近頃は多いね。良い傾向 -- 名無しさん (2016-12-10 06 30 58) ↑6 英雄の大半が結構エグい事しているから英雄=高潔で素晴らしい人って考え自体が間違い。 -- 名無しさん (2016-12-10 09 49 48) そういえば、日本で色々な二次創作が盛んなのと同じように、中国では、三国志の二次創作が盛んだったりするのかな?そこらへん、中国の人に聞いてみたいな。 -- 名無しさん (2017-07-21 15 31 38) ↑最近ようやく女体化が出てきたんじゃなかったか?関帝強すぎでそこらへんの二次創作は多そうだが -- 名無しさん (2018-05-24 10 14 17) やっぱり日本での知名度は横山三国志の功績が最大だろうなぁ。 -- 名無しさん (2018-07-01 17 30 45) 何が凄いって、日本で言えば卑弥呼よりもさらに前の時代(「親魏倭王」の称号と金印を送ったのが曹操の孫)にこれだけのことをやって、しかもその記録が残ってるってことだよな。 -- 名無しさん (2018-11-29 11 25 33) ↑古代日本が先進国家として遣唐使、遣隋使を送っているのは伊達じゃないってことさね。唐も隋も日本史では聖徳太子、かなり初期のころに登場する国家、中国史だ既に中頃ってんだからやっぱすごいよ -- 名無しさん (2020-01-23 14 20 34) 聞いた話によると中国人は三國志の影響で日本人が三国時代に異様に詳しいことに驚き、同じ人がそれ以外の中国の歴史を全く知らないことに二度驚くらしい -- 名無しさん (2021-03-03 11 22 17) BB三国伝BBWも忘れちゃいけないぜー。三国志の入口としては最適じゃないかな -- 名無しさん (2021-04-01 22 33 56) 反三国志の記事がなかなかできないな。三国志の二次創作を始めて書いたのは周大荒が初めてか? -- 名無しさん (2021-04-25 22 33 23) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/1030.html
こうてい【登録タグ napi こ 曲 波音リツ 重音テト】 作詞:napi 作曲:napi 編曲:napi 唄:重音テト、波音リツ 曲紹介 napi氏の投稿14曲目。 邪気眼開眼中です。(投稿者コメントより) 歌詞 我が身の前に跪くが良い 与えられるだけの者ども 形無き物も全て奪おう 手に入らぬ物は壊して 正義があるというのなら この身を止めてみせよ 愛があるというのならば この身を愛してみせよ 歪んだ体に余分な手足 狂気の血を引いた皇帝 お前たちがそう扱うのなら その言葉を体現しよう 救いがあるというのなら この身に救いの手を 赦しがあるというのなら 我が罪に神の慈悲を 幻想抱いた盲目者ども 平等など存在しない 我が身の前に全てがひれ伏す 頭(こうべ)上げるものなどいない 正義があるというのなら この身を止めてみせよ 愛があるというのならば この身を愛してみせよ (動画内歌詞より転載) コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2778.html
発売から11年が経ち、wikiも勢いをすっかり無くしてしまっているため、初心者(私もそうですが)への指南と、自他ともに再び三国志11への情熱を復活させることを目的に投稿。 当方初投稿ですので、拙文ですがお読み頂ければ幸いです。 プレイ条件 PS2版PK シナリオ:「187年 4月 何進包囲網」 難易度:上級、戦死「普通」 勢力:龐羲 数字の羅列が出てきますが、その武将の 統率-武力-知力-政治-魅力 を表しています 縛り:武将登用時の功績リセット(古参を重視したいため) それではプレイを開始させて頂きます。 0.現状把握 今回プレイする「龐羲」勢力とはなんぞや?な人のために注釈から始めます。 このシナリオは何進が帝位を簒奪した、というifシナリオになっており、地方では群雄が独立をする……といったシナリオとなっています。そのため、龐羲の他にも厳顔や区星、婁圭といった普段は一般武将となっている武将が君主となっています。 そんな龐羲の能力はこちら。 60-38-68-74-57 (特技なし) はっきりいって君主としては物足りません。 また部下がたった一人だけ、楊懐という武将がいるのですが、その楊懐の能力は 62-68-68-62-53 (特技なし) この二人で統一まで持っていけるはずがありません。 しかし、恵まれたことに(ここしか利点がないのですが)スタート地点は「梓潼」であり、しかも隣接する勢力はありません。これなら内政に励んで在野武将の発掘を待てますね。 という訳にもいかず、北では軍師賈詡と馬騰を手に入れた董卓vs今シナリオ最強と目される何進がドンパチやっているのでいずれは呑み込まれる運命にあるでしょう。 南の江州には厳顔が勢力として独立しています。幸いにも彼らはこちらと同じで武将二人。その能力は 厳顔 79-83-69-67-79 弓将 黄権 75-59-82-79-78 規律 あれ?格差が酷くないか? 1.187年の戦略 ゲームを開始させてまずやることは武将の育成。楊懐はまだ若く、成長過程にあります。具体的には能力値が先ほど挙げた数値よりも3~4低いので、今のうちに能力を上げておけばピークを迎えた際に多少はマシになっている……か? というわけで政治(低)→築城→知力(低)→統率(低)→武力(低)と二年ほどかけて研究します。 187年には在野武将の登用は厳しいものがあるので(というか近隣に現れない)、187年の内に治安、気力の向上をやりきってしまい、ついでに龐羲で成都を占拠します(このとき漢中がまだ空白都市であったため、梓潼のほぼ全軍を持っていきます)。これで187年終わり。 2.188年の戦略 この年は龐羲軍に念願の在野武将が登場します。その名も張任。彼を好きな方もいるかと思います。 張任 88-84-78-59-76 弓将 彼は龐羲が1月上旬に探索すると現れ、3月上旬に龐羲の登用に応じます。 この時点で厳顔には負けない武将を手に入れたため、内政施設を建てだします。 とはいっても梓潼には鍛治だけ作り、弩の自動生産をさせるだけで、後は能力育成を行っていきます。 すると驚き、なんとあの楊懐(60-65-65-60-51)が 70-70-70-71-51 築城 という二流武将に成長しました!これが三国志11PKの最大の醍醐味だと思います。 件の厳顔はまだ内政に苦しみ、兵力2万4千のまま。こちらは徐々に募兵を始めます。 3.189年の戦略 この年は成都に張松、呉蘭、劉璝が登場します。 張松 15-6-88-82-19 呉蘭 62-80-35-36-50 劉璝 71-73-66-44-62 どれも今の龐羲軍には貴重な存在です。まず探索をしてみます。しかしなぜだか引っ掛からない。気を取り直して探索すると劉璝が見つかります。が、3月になっても劉璝が登用に応じてくれません。 ここで張任が武官推挙のイベントを起こします。これは一騎討ちに勝つとその武将が配下に加わるイベントです。呉蘭が相手として登場しました。成都に出現するのにわざわざイベントを起こしてまで来るとは思いませんでした(このイベントは他の都市にいる武将も対象になるため、未知なる武将を楽しみにしている筆者はがっかりしています)。 一騎討ちに勝利し、無事呉蘭を手に入れると劉璝が自ら仕官してくれました。この3ヶ月を返して。 張松は発掘後に建寧に逃げましたが、無事回収。軍師を彼(知力83)にしようかと思いましたが、せっかくなので知力を80に鍛えた楊懐に軍師を任せました。古参(特に楊懐)を重視して活躍させたいと思ったからです。 武将が増えると、行動力が溢れなくなりました。これまではかならず行動力が溢れていたのですが。 ちなみに厳顔は永安を占領しましたが兵力は増えていない様子ですので来年辺りにでも侵攻しようと思います。 あ、あと梓潼に登場する高沛(ただ一人の楊懐と親愛関係にある武将)を確保することを忘れずに行いました。12月に。 4.190年の戦略 この年に成都に登場する王甫を速攻で確保して兵力を増やし夏ごろに江州へ攻めこみました。 王甫 62-41-79-78-73 彼は兵器適正Aであるため戦場でも活躍が見込まれます。江州攻撃は張任(弩隊)、楊懐(弩隊)、劉璝・王甫(井蘭隊)でそれぞれ7千。呉蘭は南蛮征討に向かわせたため今回はお休み。 黄権の抵抗を張任で撃破しながら、井蘭で城兵を削り、楊懐で城を落とします。 梓潼の情勢はというと、ようやく漢中の内政をまとめた何進軍が、袁潭を単騎でこちらに寄越しますが、張松の偽報によって桟道を往復させたので問題はなし。 開始から3年経った今の状況は 董卓・左上3都市(武威、天水、安定) 何進・漢中、長安、洛陽、上庸、宛 曹操・濮陽、陳留、許昌、寿春 龐羲・梓潼、成都、建寧、雲南、江州 厳顔・永安の6千 劉焉・江陵の5百 このことから龐羲軍が永安を取る際に障害はないと思われる。 楊懐・張松・劉璝を剣閣防衛チームに、張任・王甫・高沛を永安攻略チームに編制し、この年を終えた。 5.191年の戦略 前年から永安に軍を進めている龐羲軍は2月上旬に永安を攻略し、厳顔・黄権の両名を配下に加えた。 漢中戦線はというと、剣兵の皇甫嵩や陽平関を防衛し兵糧切れに陥った部隊等が侵攻してきたため、低知力部隊は計略で止めた。高知力部隊も桟道の近くに建設した弓櫓の破壊を行おうとしていたため、弓櫓を「築城」の楊懐で補修しておくだけでその大半を削ることに成功し、その後の撃破に至った。 その途中で楊懐と何進軍・金旋の一騎討ちを起こし見事勝利。金旋を龐羲軍の配下に加えた。 この年は永安の内政と剣閣の防衛に費やされ、成都に出てくる武将の発掘もままならないままになってしまったのが唯一の失敗だ。 楊懐を育成する際にいくつか考えなければいけないことがある。 まず育成システムを有効利用する方法だ。プレイ中に能力を1上げることは手間がかかるものである。その点育成は一度に能力が5上がる。 ここで留意すべきことは「その武将の成長が20未満ならこのシステムを使える」という点である。 さて、楊懐の統率は本来62である。これを利用すると62→67→72→77→80となり、まだ18しか成長していないことになる。そこでもう一度育成を行うことで楊懐の統率は85にまで成長するのである。 しかし現在の楊懐は成長途中であり、まだ統率は60に留まっている。この状態で育成を行っても統率は80止まりとなってしまう。 そのため楊懐の統率が61となる年を待ち、その間は知力方面の育成を行う。 もう一つ考えるべきポイントは育成コマンドで起こるイベントである。 このゲームは育成中にイベントが起こることがある。 統率、武力を鍛える際に一定確率で在野武将と一騎討ちを行い、勝利するとその相手武将が配下に加わる。 また知力、政治、魅力を鍛える際に一定確率で自軍の軍師と舌戦を行うイベントが起こる。舌戦を起こすと修業者と軍師の両者に知力経験値が加算され、能力が上昇しやすくなる。 このため楊懐が修業中の際には軍師を王甫(楊懐と同知力)に代え、舌戦イベントを狙う。今回のプレイでは筆者が弱く、舌戦に負けてしまったが狙っておくべきイベントだろう。 6.192年の戦略 成都に武将を集めて雷銅、秦宓、王累の登用を行う。その他にも流れ着いてきた楊昂や張衛を在野から登用する。 雷銅 69-78-51-37-53 秦宓 16-7-72-78-76 王累 28-30-78-80-73 楊昂 68-72-38-35-42 張衛 74-66-45-44-61 武将の頭数は揃い、あとめぼしい在野武将といえば、江州で193年に現れる甘寧と、建寧で194年に現れる李恢くらいであるので、これからは武将を登用しても能力表記を割愛させていただく。 ちなみに甘寧と李恢の能力はとても優秀であり、登用に成功すれば、おそらく何進軍にも対抗できるはずだ。 甘寧 86-94-76-18-58 威風 李恢 79-65-78-77-80 機略 漢中戦線はというと、漢中と剣閣の間に建設した弓櫓を破壊しに来る何進軍を、一方的に厳顔の弩兵隊で撃退していく。 何進軍は兵力的には最大勢力であるが、漢中は董卓軍との戦闘で疲弊している。 楊懐は上にも挙げた通り、年齢による能力上昇が起こるまでしばらくお休みしてもらって、厳顔・張任の両名で漢中に攻めこむことにした。 もちろん漢中を攻めずに荊州方面へ攻める手もある。荊州方面は武将の質、兵力的にも、何進軍より与し易い相手である。 しかし江陵という、三国志11屈指の守りづらく攻められやすい土地を得ても、伸びてきている孫堅軍や曹操軍には対抗できないので、何進や董卓と戦うことを選んだ。 7.193年の戦略 まず江州に現れる甘寧を登用する。甘寧は呉の武将であるため、龐羲軍の武将と相性が悪く登用に時間がかかった。同じ頃、漢中に流れ着いていた呂蒙を登用。 弱かった槍、戟の武官の補強を二人もした龐羲軍だったが、何進軍も全力を挙げて長安から3万とも4万ともいえる軍を送り出す。 現在の何進軍は漢中から撤退したとはいえ、宛と長安にそれぞれ4万ほどの軍勢がおり、このゲーム屈指の防衛ポイントである陽平関の存在を考えてもこの戦いは厳しいものになると思われた。 しかしここで天祐が起こる。なんと董卓軍が長安に侵攻、それも天水から出陣したため、何進軍の漢中攻略部隊は董卓軍とぶつかり合い、ここから延べ2年に渡る総力戦が行われた。 このプレイ初の危機的状況を一兵も損することなく切り抜けた龐羲軍は、十分すぎるほどの物資を後方から輸送し、漢中を攻略した際捕らえた何進軍の武将を登用する。頭数の揃った龐羲軍は、これで後方都市に主力武将を割く必要がなくなり、実質ゲームクリアを目前にした。 とはいうものの、大陸の東では孫堅と曹操が急激に伸びているため最終決戦までしっかりやりきります。 ※ここではまるで「クリアは余裕」の様に書いていますが、実際はこの後も苦戦が続きます。 8.194年の戦略 まず建寧にいる李恢を登用。これにて主要な在野武将は発掘したので、後方都市は外様である何進軍の武将に委任させた。 続いて董卓軍との決戦で疲弊しきっているため、補給が間に合っていない上庸(兵力1万程度)を攻める。やや抵抗があったものの、厳顔・張任・王甫・甘寧の大陸でも随一の部隊に3万もの兵力。落ちないはずがなく、1月に軍を進め、4月には落城。その後上庸に押し寄せたカク・顔良といった一流武将の侵攻を、なんとか撃退する。 さて、この年楊懐の統率が年齢による成長によって1上がったため、育成を再開。その結果、楊懐の能力は 85-81-82-81-62 BAACCB という三国志世界でもかなりの名将 となった。(総合391は全武将中29位) ついでに余った統率(高)を張任にあげることにしたので、張任の統率は96に。弩兵隊を率いているため、張任の統率の高さはあまり関係無いように見えるが、張任の戟兵適性はS。今後は高武力の武将と敵対することが増えるため、張任の特技・弓将が使いづらくなるかもしれない。そんなときに戟兵隊を率いて、壁になってもらうことが出来るようになった。 現在の勢力図は、 龐羲・上庸、漢中、梓潼、成都、永安、江州、建寧、雲南 董卓・天水、安定、武威 何進・長安、洛陽、宛、襄陽、江陵 曹操・陳留、許昌、寿春、廬江 孫堅・建業、呉、会稽、柴桑、長沙 袁術・新野、汝南 河北は劉備と公孫鑽が取り合っているので、詳しくは書けない。 一応陳珪が下丕β(かひ)と小沛を、劉焉が江夏を支配しているが、おそらくその都市に龐羲軍が辿り着くまでには別の勢力が制圧しているだろう。 私見だが曹操が廬江を取ることに成功したり、何進が南下していたり、なかなか珍しい展開なのではないだろうか。 技巧研究については、先述の通り楊懐の統率育成を中断していたため、難所行軍の他は知力方向の研究を進めている。(技巧研究をした武将はその能力が成長するため、留守を任せた楊懐で技巧研究を行うと、どうしても知力や政治に偏ってしまうせいです) 9.195年の戦略 開始直後に在野武将の法正が安定から流れ着いてくる。どうやら呂蒙といい、この法正といい、今回のプレイは運が良いようだ。 長安と天水の間で行われた何進と董卓の戦いはどうやら董卓軍が勝ち、長安にたくさんの董卓の軍が張り付いている。 ここが好機とみた龐羲軍は、楊懐・張任・厳顔・甘寧の武将たちで漢中から側道を進み、素早く天水を落とした。ここまでは計算の範囲内だった。 問題は新野から袁術軍が上庸に向けて侵攻してきたことだ。 袁術軍は武官は少ないが高知力の武将が多く、1対1の戦なら撃退できるかもしれないが何進と董卓を敵に回した今となっては、強大な敵である。 そこで急遽袁術軍と同盟を結ぶことを決意。龐羲たち巴蜀の武将とは相性が真逆であるのだが、後方都市に余っている金と外交府のお陰で同盟を結ぶことに成功。 というよりも我が軍としては、袁術軍にこのまま何進軍を南北に分断してほしいし、曹操・孫堅の西への侵攻を誰も食い止めないという最悪の状況への対抗策だと考えた。 これによって主力は西の董卓と何進軍の北部を叩くことに集中することができるようになった。本当はかっこよく同盟なんて結ばずに統一する予定だったのに……(このゲームの同盟はただの不可侵条約であるので同盟を結ぶ必要性は低い) 10.196年の戦略 袁術軍と同盟を結び、主力武将を二分する必要が無くなった龐羲軍。しかし、何進・董卓軍は攻勢をさらに強めた。何進はカク・文醜という高武力で高知力の部隊を幾度となく上庸に送り(1年に4~5回)、董卓軍は総勢5万ともいえる軍を天水に繰り出した。 上庸防衛は李恢・法正・黄権といった高い弩兵適性を持つ戦える文官と、育成した呉蘭・後方都市でくすぶっていたその他の武官を組み合わせ、とうとう文醜を捕らえることに成功。その文醜を登用し、上庸防衛戦は解決の兆しを見せた。 天水は甘寧・厳顔・張任のいつものメンツに、新たに特技・覇王を習得した楊懐が加わり、龐徳や馬一族を蹴散らしていく。その余勢を駆って安定攻略に出たまでは良かった。 そこで長安から天水攻撃の華雄隊が出てくる。あらかじめ施設で防衛しているはずだったが、華雄隊はそれを難なく突破し、我が軍の輸送隊を壊滅させる。その後、華雄によってあっさり天水に取りつかれてしまったため、張任を天水まで下げ、防衛を行う。 しかしどうしたことか張任が戦法を5連続失敗(突出ですから成功率は85%のはずですが……)。その上、騎兵戦法による強制一騎討ちが発生。今の天水にいる武将はゼロ。ここで負けて董卓軍に捕らわれてしまったら、後発している兵器隊によって天水が落ちるのは目に見えている。 ここに華雄(武力94)vs張任(武力84)の両軍の柱ともいえる勇将同士の一騎討ちが始まった。 敵将・華雄は攻撃重視を選択。対するこちらの張任は防御重視、相手の闘志が溜まる前に必殺コマンドによる防御力強化を行う。 華雄は闘志重視に切り替え、攻勢を強めつつ闘志ゲージを溜めては、必殺による削りを入れてくる。 戦い合うこと40合、張任はあと僅かな体力を残し、闘志ゲージを最大に貯める。そして「必殺」を三回叩き込むッ! 華雄の体力は僅か、ほんの僅かに残り、張任に反撃を仕掛ける。もはやこれまで、と思ったその瞬間!張任が最後の力を振り絞り、華雄に手痛い一撃を浴びせ、ここで華雄はダウン。 47合に渡る一騎討ちの勝敗は、この天水防衛戦の勝敗を意味していた。 残る董卓軍は張任の攻撃の前に壊滅。同じ頃、安定の攻略を完了。あとは分断された董卓軍を殲滅するのみとなった。 文官の行動にも触れておきますと、 1.黄権は費詩を推挙。舌戦は費詩を一喝したため行わず。 2.前年のいなごに吹き飛ばされた農場を行動力が余っていれば復興させている。 3.特技の築城を覚えさせて放置してしまっていた、古参の秦宓。彼は永安領に弓櫓を大量生産。いくつか間違えて江陵領に置いてしまっているようですが、迎撃に来た孫堅軍を弓櫓が撃破しているようなので、問題なし。 ここで注目すべき点は、とうとう孫堅軍と接触したという点です。孫堅軍は虫の息である劉焉や区星を薙ぎ倒し、荊州をじきに支配するでしょう。その時に備えて弓櫓を作り出したのですが、永安と江陵の境界ってわかりづらいんですよね…… そして河北を取り合っている劉備と公孫鑽が同盟を結んでいることが判明。道理で曹操軍がボコボコにされているわけだ。ここにきてラスボスが誰になるかわからなくなってきたので、この先の侵攻ルートに悩み出した。 現在の勢力図 龐羲・巴蜀+上庸、天水、安定 袁術・汝南、新野 董卓・涼州(分断済み) 何進・洛陽、宛、襄陽(袁術軍が分断済み) 曹操・許昌、寿春、廬江(中原からは追い払われている) 孫堅・呉の一帯、柴桑、荊南をほぼ統一 劉備・西河北、陳留(現在洛陽に侵攻) 公孫鑽・東河北、徐州一帯 11.(幻の)197年の戦略 あらかじめ断っておくと、この197年はかなり内容が濃く、密度の高い一年となり、筆者自身が普段まったりプレイに慣れきっていることもあるが、それを差し引いてもとてもアツい展開の一年となった。(筆者は、この撮れ高を文章に反映できない己の文才を嘆いているようだ) まずこの年に龐羲軍の壮大な戦略を建てた。内容としては董卓の武威、何進の襄陽と宛に対する三方面作戦だ。もし全ての都市を落とすことになれば、これで何進と董卓は残り一都市ずつになる。つまりはこの長い何進・董卓との戦争に決着を付けにいったのだ。 まず武威には我が軍の精鋭である楊懐・厳顔・王甫の三部隊。一応このプレイ日記では有名武将である王甫と表記しているが、実際は王甫の武力を補完するために高沛を入れている。どちらも益州出身の武将であるので筆者自身ももっと活躍させてあげたいと考えている。井蘭隊を率いて城兵を削ってくれているが、トドメは必ず他に譲ることにしているためイマイチ功績が伸びない。 宛方面の布陣は、我が軍の「二流」武将である方悦や金旋、黄権や法正、そして新戦力の文醜。みんな功績が低く寡兵であり、武将が少ない1万5千の宛とはいえ少し不安が残る。 襄陽へは甘寧・呉蘭・李恢という中堅三人衆を起用。確実に仕事をしてくれる三人であるし、なにより袁術軍が襄陽に攻めこんでいる最中であるので、いわゆる横取り狙いだ。 我が軍のエースである張任は天水に対する長安からの部隊をたった一人で撃退し続けているため、この中には加わらなかった。 宛方面は意外な展開となった。迎撃に来る武将はみな二軍に相当するメンツであり、各個撃破によってあっさり城に取りつくと宛が陥落。今回の戦いで最も働いた武将は、撹乱を外しまくった法正でもなく、パッとしなかった文醜でもなく、おそらく心攻によって兵を回復させた方悦であろう。 武威には猛将・龐徳が控えており、苦戦しつつもなんとか撃退し捕縛。龐徳のいない武威はなかなか落城しなかったものの、こちらを壊滅させることは出来ないため、時間を掛けて城を落とす。 問題は襄陽である。李恢が城に近づくと迎撃が出てくる。黄忠・徐晃・顔良の適性Sで武力90以上の三部隊が出撃。李恢が一瞬で溶け、命からがら上庸に逃げる。呉蘭も抵抗するが、またしても1ターンで4000くらいの兵を飛ばされたため、さすがに今の襄陽を攻略することは不可能と判断。全軍撤退を行った。 気づけば袁術軍は一掃され、甘寧・李恢は帰還したものの呉蘭は襄陽で孤立。この時の古参重視を掲げた筆者に襲った呉蘭に対する申し訳なさは理解してもらわなくて結構だが、とにかく大敗北を喫したのである。 退路を絶たれた呉蘭隊を救ったのはなんと袁術軍だった。袁術軍が港を取り返してくれたお陰で何進の軍勢はそちらに向かい、呉蘭は港を取り返し素早く上庸に帰ることが出来た。もちろん袁術軍の部隊が壊滅したことは言うまでもない。 三方面作戦の戦果としては2つの城を落とし、強い武将の捕縛に達成したことであろう。それと同時に、何進の本気を見せ付けられた部分も収穫だろう。 戦力不足を痛感し、何進・董卓軍から強力な武将の登用を行う。結果から言うと龐徳・文聘・賈詡・成公英(COMお得意の、軍師の知力を95に上げるルーチンによって知力95に強化されている)を登用した。古参重視の方針であるため、防衛戦や内政で活躍してくれるだろう。運が良ければ今回の宛攻略戦のように別働隊に編制するかもしれない。 この攻略作戦の後、何進の反攻があった。洛陽から宛に向かって、投石機一体(鮑信隊)。襄陽から上庸に向けて、黄忠隊。 黄忠の上陸を許してはいけない。海上で甘寧をぶつける。当然水上適性Sの甘寧が水上適性Cの黄忠隊に負けるはずがない。こちらは撃退した。 驚いたのは鮑信率いる投石隊。1万3千の投石隊とはいえ、こちらの5部隊1万5千の弩兵隊が全く鮑信を押し返せない。 宛を攻撃され続け落城寸前になったため仕方なく宛を明け渡し、次のターンでの再占領を繰り返す。甚大な被害(全部隊合わせて4千まで減らされる)を受けながら、ここで鮑信隊の気力が0に。ここで鮑信を囲んでこの被害に対する恨みをぶつける。途中文醜が鮑信隊の副将に一騎討ちで勝ったことが気力削りにおいて重要な役割を果たしたようだ。 筆者は前期シナリオをあまりやらないため、何進が投石 霹靂(投石隊によって複数部隊攻撃が攻撃になる技巧)を研究すると知らなかったため、このような結果になったと思われる。それにしても鮑信という武将、良い武将である。寿命の問題さえなければ…… 永安弓櫓建設隊によって建設された弓櫓はすでに15個以上。破壊された分は詳しく数えていないのでわからない。 197年の冬になり、とうとう董卓最後の都市である長安に、楊懐・張任・呂蒙・厳顔で出兵。その頃上庸では、黄忠・孟達率いる何進水軍と甘寧・文聘率いる龐羲水軍の大激突が起ころうとしていた…… 実はそんなことより天下の一大事が起こっている。兵力最大勢力の公孫瓚がとうとう許昌を占領。また劉備が洛陽を落としたため、中原は既に劉備・公孫瓚連合軍の手に落ちてしまったのである。 孫堅軍と曹操軍は伸びると予想していたのだが、寿春争奪戦によって疲弊。しかも孫堅軍有利で進んでいるため、曹操はこのままいくと廬江のみを所有することになる。もし呉・魏の連合軍が出来てしまっては、相当辛い相手となる。 ここにきて、本当に公孫瓚を止める最後の希望となるのが我が盟友袁術になるとは……。袁術と公孫瓚の許昌・徐州決戦を乞うご期待!(フラグ) ※ちなみにこのシナリオ、他勢力からの外交的計略が多く、常に流言や二虎競食の計略をくらっている。そのためかわからないが、一年前チェックしたときは劉備と公孫瓚は親密関係であったのだが、現在は不和。ひょっとしたら直に河北戦争が再開するかも……? ☆謝罪 人為的ミスによりセーブを忘れてしまったため、この197年は幻となってしまいました。申し訳ないです。 再現を試みましたが、全く違う展開となってしまったので主要な変更点を記します。 宛・武威は陥落し、襄陽に負ける軍を派遣したところまでは同じ 登用武将は 「龐徳・賈詡・文聘・成公英」 ↓ 「楊阜・文聘・馬岱・閻行・向朗・劉岱」 許昌を取った勢力が公孫瓚から劉備になる。このため劉備の圧力が減り、何進の宛攻めが激しくなる。しかし何進が兵を宛に出しすぎたせいで、結局洛陽は劉備の手に。宛の防衛戦は(卑怯な手ですが)武関で一方的に殴ることに。 董卓がなぜか天水に攻めてこなかったため、董卓攻めを秋から行う。年変わりには董卓を滅亡させることができそうだ。 孫堅軍が永安の近くの港(巫県港)を押さえてしまった。そのため火船を江陵ー永安間に大量に並べる。もちろん孫堅軍は弓櫓に苦戦中。 袁術軍の襄陽侵攻が好調なこともあり、上庸に何進が攻めてこない。 といったところで再開させていただきます。 ☆1.198年の戦略 まず董卓の引きこもる長安を落とします。あらかじめ出兵している我が軍の精鋭(楊懐・張任・厳顔・王甫・呂蒙)が董卓や徐栄らを蹴散らし、城に取りつくと1月中旬に落城。 ところで龐羲軍は現在最大勢力であり、13都市を保有している。しかし武将は40人ほどしかいないため後方都市の内政は手付かずのままであった。 今ここに董卓軍出身の武将20数名を加え、大分後方都市の運用がラクになった。 3月に新たに登用した韓浩が司馬懿を推挙し、舌戦の末あえなく敗北。司馬懿は他勢力に流れるかと思いきや、なぜか雲南にいるのでしばらくしたら我が軍に加えようかと思います。 4月、劉備が停戦の使者を送ってきた。3ヶ月と短期間で、しばらく攻めこむ予定もないので停戦。 洛陽の関が入り組んでいる地点には、何進軍の残党2~3万ほどが行き場を無くして右往左往している。これを宛から劉璝、長安から厳顔によって挟撃し全滅させる。これにより残る何進軍は襄陽の軍だけとなった。 このゲームではプレイヤー勢力の君主が拠点にいると頻繁にイベントが起こる。龐羲軍はあらかたイベントを起こしたので(これ以上イベント効果を受けたくなかったので)、龐羲自身が廟を探しにいく。廟というのは隠しデータで、ある地点につくと武将が強化されるのだ。さっそく翌年に遺跡を発掘。騎兵適性を上げてくれるという。イラネ 秋になり軍備が整ったため、襄陽を攻めこむ。メンツは龐羲軍オールスターと銘打って、楊懐、張任、甘寧、 厳顔・呉蘭、黄権・雷同・王甫という布陣で出陣した。 迎撃に出た何進軍の顔良が騎兵戦法使用後の強制一騎討ちを挑んで来る。こちらは張任だったが、わざわざ危険を犯してまで勝つ利点もないためここは退却。一騎討ちで怪我したため張任は施設破壊に努めることにした。 ☆2.199年 登用禁止期間が解けた司馬懿を登用。よくぞ我が軍に来てくれた。が、軍師にはなれない。 何進軍を、滅亡させる。いかに相手が強くとも、兵力による優劣はさすがにひっくり返せない。 ここで占領時に金を持っている部隊を入れないというミスで、二流武将を全解放。さらに誤って袁紹夫人の劉氏を解放したため、袁紹も登用不可に。 それでも重要な人物は登用を行う。 韓遂、徐晃、馬超、黄忠、賈詡、李厳、顔良、孟達といった顔ぶれである。やはり相性の問題か、蜀に関係してそうな人物が大量に釣れた。 余勢を駆って江陵へ攻めこむ。江陵は秦宓が弓櫓建設によって敵兵削りの作業を行っていた場所、大した抵抗もなく孫堅が籠る江陵を落とす。 一方そのころ、宛は暇していた二軍武将たち(劉璝、文醜、法正、李恢、李厳など)を許昌に向かわせる。 たかが2万くらいだからこの武将たちでも吹き飛ばせるだろ、と楽観していたが、劉備・張飛・関羽の三義兄弟が出てきて事態は一変。 龐羲軍は苦戦しながらも、李恢で撹乱をかけて各個撃破。幸いにも許昌には軍師タイプの、李恢の撹乱が通らない武将はいない。 そして捕らえた劉備・張飛・関羽は全員斬首。ここらへんは楊懐の前世の記憶が叫んでいるということにしておこう。システム的に仲間にならないということもあるけれども。 劉備軍は新君主である劉辟(この人黄巾系では?)へと代替わりした。 多分読者の皆様は「あれ?この筆者、処断大好きなのかな?」と思われたであろう。しかしこのプレイでは5人しか斬っていない。軍勢を率いながらも、我が軍を裏切った韓馥。このシナリオの悪役である何進(大義名分だから斬ったのである。決して無能だからではない)。そしてこの劉備三義兄弟。 おそらく我が軍後方都市の都督・張松はこれを悲しんだろうが、張松は最初は曹操に取り入ろうとしていたからこの時代はまだ曹操派のはず……? ☆3.200年 さて、あらかじめ予告しておきます。 大陸を統一せず、プレイ日記をあと2年で終わらせます。 理由としては大勢が決してしまっているため、統一までプレイすると見所がこれまで以上にない、いわゆる作業になってしまうためです。ご了承ください。 さて、そうと決まればやることは絞られてきます。 いかに見所を生み出すか? 現在大陸には、西半分を制圧している龐羲軍、その同盟軍である袁術、河北・中原を制圧する公孫瓚・劉備(劉辟)、そして孫堅軍がいますが、その他には荊南で 小競り合いを続ける刑道栄(旧区星軍)、劉焉、廬江の曹操がいる。 ということで見所を作る、という名目で荊南四都市を1年ですべて落としにいく。 結論からいえば、楊懐・張任・厳顔は強かった。本当に200年終了時までには4都市全てをゼロから落としてしまったのだ。敵が弱いのもあるが、長沙でも孫堅の迎撃を物ともせずに、拠点に取り付きあっさり落とす。 一方その頃、龐羲も君主自ら廟・遺跡を探しにいく。この200年の内に、統率を上げる遺跡と特技を与える廟を両方発見。 統率の方はもちろん楊懐の能力向上に使い、特技の方は古参ながらイマイチ戦場にも出れなかった王累に指導をつけ、楊懐とコンビを組ませる。これで楊懐の能力が少しでも上がれば良いのだが…… さて、その間に他の都市では兵が余っていたので、劉辟軍の残党狩りを行う。 まず文醜・法正・黄権・文聘・司馬懿・龐徳といった、古参ではないものの出番を与えてあげたい武将たちで洛陽を物量攻め。トドメは、遺跡探しから帰還した龐羲自らが刺す。 そして余勢を駆って(この軍いつも余勢を駆っているな)、陳留を攻める。さすがにここは苦戦したものの、というかこれはこれで半年くらい戦っていたので激戦といえば激戦なのだが、やはり敵味方共に武将に思い入れがないと、良い戦いに見えないのだ。 最後は龐羲が締めて陳留攻略。これにより王位を自称する龐羲。ここにきて龐羲軍の勢いは益々盛んになった。 最終章.201年 さあ、龐羲軍がやり残したことはないか?と考えると ①楊懐の育成、嫁探し ②公孫瓚の大軍に挑み、龐羲が帝位に上る という二点が思い浮かんだ。筆者的には、(このシナリオの)何進を斬ったため、やることは終わっているのだ。 乱世の姦雄・曹操を滅亡させることがプレイのまとめだと思っていた(まさか公孫瓚に押されるとは……)ため、当初の予定通り曹操攻略に向けて軍を進める。 そのために手前の柴桑にいる孫堅を攻略する。3万程度の抗戦ならば、野戦において楊懐・厳顔・張任の火矢で削り、城に甘寧の兵器が取り付けばあっさりと落ちるのだ。精鋭弩兵を研究した以上、もはや普通の軍では相手にならない。 そのまま曹操軍5万が籠る廬江へ突撃。 厳顔・楊懐・張任・甘寧及び副将は最寄りの港から廬江に取り付く! 次のターン!曹操軍の反撃!呂布・曹操・曹仁……といった超のつく名将どもが龐羲軍をボコボコに殴る!甘寧隊なんと壊滅、厳顔隊も半壊する。 これはまともにやっても勝てない!と思った筆者は、曹操軍が1都市であることを利用して部隊に一切攻撃せず廬江を落とす。これにて曹操軍は滅亡し、相手4万の兵が一瞬にして消える。 このやり方は出陣している武将をみすみす逃がすことになるので普通は推奨されない。が、今は都市数が命。幸い女性武将4人と、曹丕、曹休の射手コンビを確保したので即登用。残りは慈悲の心で解放する。 また、なぜかこの時期になって技巧研究の発展の際に現れる左慈がようやく出現。このイベントは武将の能力経験値を全員・全能力・一定値上げるイベントである。 左慈さんのおかげで楊懐は弩兵適性Sに昇格。統率も大台となる90に上昇。張任の統率に至っては夢の100を達成。今回のプレイの目標をある程度完成させた形だろうか、ここで187年の開始時の能力と今の楊懐の能力を見比べる。 楊懐(187) 59-65-65-59-50(うろ覚え) 楊懐(201) 90-91-89-86-76 さーて、楊懐の嫁は誰にしようか?と悩む。しかしシステムエラーなのかなんなのか知らないが、未婚武将でも結婚出来ない武将がいるため選択肢が思ったより少ない。死没武将が旦那ということもない武将までもがそうなるとは思っていなかった…… かくして楊懐・貂蝉という一組の夫婦が誕生し、筆者を喜ばせた。 ええ、わかってますとも、壮大な茶番です。 一方そのころ、陳留を巡る戦いが激化していた。陳留に籠る10万の龐羲軍に対し、濮陽10万・小沛4万・業β3万が一斉に押し寄せる。実際に出陣したのは合わせて10万くらいだが、厳しい戦いとなった。 と、書きたいところだが敵将を見てみると、先陣を切る太史慈は辛い相手だが後詰めの武将は張絋や騎兵でない公孫瓚などといった大したことがない布陣であったため、弩兵で囲んで各個撃破。陳留西側に押し寄せる軍も法正・呂蒙の足止めにより凌ぎきる。 10月になり濮陽は未だに大軍が残っているが、小沛には3万の兵しかいない。馬岱や文聘らが壊滅するものの、最後には龐羲が小沛を落とし、これで龐羲軍は201年を終わったところで25都市を所有。 翌202年1月1日、楊懐・張任らの勧めにより、龐羲帝位に上る。国号はもちろん蜀であった…… はい、今回のこのプレイ日記をここまで見て下さったみなさん、ありがとうございました。 自分で始めておいてなんですが、正直失踪すると思っていました。(大体龐羲と楊懐なんて誰得勢力だよ) しかし閲覧者が結構いたり、コメントまで付いたりと、発売から10年過ぎたゲームとは思えないくらいに賑わっていて、やはりみなさんも三国志が好きなんだな、と感じました。 このプレイ日記が少しでも読者のみなさまのひとときを楽しませられたのであれば幸いです。 長らく更新遅れてすいませんでした。統一した際の記録を載せる予定でしたが、いわゆる作業になってしまい、しかも公孫瓚の兵力がムダに多いためここで打ちきりというか、完結ということにさせて頂きます。 次の企画がもし進めば日記を書かせて頂くので、その時はまたよろしくお願いいたします。 製作後記 今回文章を書く練習と、私の三国志11の8年分のスキルを総出してどこまでやれるのか、の検証という目的で始めました。 203年の内に楊懐の統率の成長も限界(92)を迎え、功績も6万の上限にぶち当たっていたため、もう楊懐のサクセスストーリーとしても見所がないかなー、と判断し皇帝就任による区切りということにさせて頂きました。 多分超級でもチャート通り張任を確保してしまえばルーティーンの都合上、厳顔は倒せます。おそらく内政が一定ラインまで進まないと何もしません。あとは成都に出てくる内政官と在野の甘寧、李恢を回収すれば詰みはないはず。 ここらへん検証すべきなのでしょうが、まあ龐羲で統一可能とわかったので良かったです。 重ね重ね申し上げますが、御閲覧ありがとうございました。 イイネ!盛り上げ -- 名無しさん (2017-03-21 11 46 06) 196年まで追記させていただきました。コメントありがとうございます。 -- 筆者 (2017-03-22 01 50 44) 楽しみに拝見してます -- 名無しさん (2017-03-22 12 42 50) 面白いよ。がんばれ! -- 名無しさん (2017-03-22 19 30 33) 二件もコメントありがとうございます。コメントのお陰でセーブミスから立ち直れました。今しばらくお付きあいお願いします。 -- 筆者 (2017-03-28 12 02 15) セーブミスあるある過ぎるw -- 名無しさん (2017-03-29 17 54 35) 更新期待、また -- 名無しさん (2017-05-17 22 41 54) 途中送信してしまった。マターリ頑張ってください -- 名無しさん (2017-05-17 22 42 49) 楽しく読ませていただいています。 -- 名無しさん (2017-05-18 20 09 40) 完結おめでとうございます。とても楽しく読ませていただきました。 -- 名無しさん (2017-06-11 04 17 17) お疲れ様でした!楽しく読ませていただきました! -- 名無しさん (2017-06-11 16 42 52) 結婚は勲功リセットしてるから出来なかったんじゃないかと推測しました。しかし、完結お疲れ様でした!楽しかったです -- 名無しさん (2017-12-30 16 23 08) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/saikyousyujinnkou3/pages/4210.html
【作品名】ロマンシング サ・ガ2 【ジャンル】ゲーム 【名前】最終皇帝(男) 【属性】バレンヌ帝国皇帝 【大きさ】成人男性並 【攻撃力】デイブレードと言う大剣を装備。 鎧兜を装備した兵士を一撃で倒せる。 無明剣 相手の気配を辿り斬り付ける大剣の最強技。 デイブレードで斬りつけた時の3倍以上の威力がある。 次元断:斧で空間を切ることによる異次元追放技 射程・範囲はギャラクシィと同じ ギャラクシィ 光の術法。敵全体を宇宙船の嵐で攻撃。射程は100m程。 威力は不動剣と同じくらい。 【防御力】自分の倍以上の大きさを持つ巨人の斬撃やドラゴンの火炎放射に数発耐えられる。 溶岩に呑みこまれても何とも無い。 ワンダーバングル 斬撃、打撃、弓矢、槍など物理攻撃全般を確実に回避する盾。 【素早さ】ハゲタカよりも素早く動ける忍者以上。 【特殊能力】水術 自然の力の1つである水の力を借りた術。 クイックタイム 時間の流れを操り相手の動きを止める術。 霧隠れ:不可視になる 攻撃を仕掛けると不可視状態が解除される 地術 自然の力の1つである大地の力を借りた術。 金剛力 味方1人の腕力を増強させる。 金剛盾 味方1人の防御力を増強。 光術 太陽や宇宙の力を操る術。 ソードバリア 光の剣を作り出し、斬撃や爪を使った攻撃を全て無効化する。 合成術 相反しない二つの術を組み合わせた術。 エリクサー 自分の体力を全快し、石化を除く全ての状態異常を回復。 光の壁 あらゆる攻撃から身を守るバリアを発生させる。 見切り 敵の攻撃を受ける際一定の確率でその攻撃を確実に回避できるようになる。 洗脳や即死攻撃を見切る事もある。 【長所】禁じ手とする者が多いほどに強力なクイックタイム。 【短所】見切りが不確定要素の塊なので過信するのは危険 【戦法】不可視状態で参戦 クイックタイム→次元断 vol.117 538格無しさん2017/11/18(土) 17 02 46.13ID eWblGvI9 529 すまん勘違いしてた 後機動兵器の壁より下も見て見たけど世界型時間停止っぽいのは浅河翔太だけだった それと最終皇帝に指摘 時間停止が世界型かどうかが不明 違うなら射程と範囲が必要 650格無しさん2017/11/25(土) 19 56 23.51ID hbAXNWfL 654 649 なるほど そういう扱いか そういえば 521のコンバット越前への指摘と 538の最終皇帝への指摘はどうなんだ? 反対が無かったら明日にでもコンバット越前を再考察待ちに 最終皇帝を修正待ちに送っとくけど 654格無しさん2017/11/26(日) 21 47 02.72ID 92tXgBiT 650 から1日経っても反対がないので以下の理由で修正待ち及び再考待ちに入れとく 最終皇帝 時間停止の射程と範囲が不明 コンバット越前 時間停止は範囲型 vol.16 761 :格無しさん:2008/06/25(水) 16 31 14 最終皇帝考察 ○○○クリプト138~ブレイド 戦法勝ち ×魔神勇二 任意全能負け ○○○ゴルゴ13~バロン・ゴング 戦法勝ち ×ソラ 引き寄せられ負け ×孔雀 智拳印負け ○○○○クロノア~νガンダム 戦法勝ち ×墨村良守 滅負け ×鵺野鳴介 妖力球連射負け △ペンギン 速すぎ分け ○○神野メイ、蒼月潮 戦法勝ち ×オーフェン 任意全能負け ×ラチェット ブラックホール負け 墨村良守>最終皇帝>νガンダム>ジェネシス-3
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1943.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2017.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1991.html
https://w.atwiki.jp/rixyougi1234/pages/455.html
概要 カダス北央帝国初代皇帝の血を引き、歴代の皇帝を輩出する一門。 皇帝家に分家のアステア家、サザン家、そしてロムの血を引くプセールの一族をまとめて『皇帝血族』と呼ぶ(しかし、ロム一族の存在はごく一部の人間しか知らない)。また、皇帝家の中にもセルラ派と呼ばれる分派が存在するらしい。 帝国の支配の象徴であり、時々においてはその権限は皇帝すら凌ぐといわれている。しかし、その影響力に対し、その正体は謎に包まれており人間の脳と機関を人工筋肉によってつなげた大計算機でないか、という噂さえある。 侵略による領土拡大を是とし、戦争を推し進めており、戦争に反対しているレディ・エイダとマタイオス空軍提督の派閥と対立している。 蒼天のセレナリアでの活動 皇帝家を奉ずるデ・マクシムの旧貴族派とバイロンを盟主とする急進派が対立していた。表だって活動こそしていなかったものの、セルラ派によって《緑色秘本》がヤーロに託されたことで物語は始まる。 蒼天のセレナリア ファンディスクでの活動 やってきた《西インド会社》の十字騎士に帝都の権限を委譲しようとしていたがエイダとマタイオスの工作によって空軍の指揮権をマタイオスに委譲せざるを得なくなる。 白光のヴァルーシアでの活動 外交戦略の一環として皇女クセルクセス・セルラ・ブリードを砂漠都市ヴァルーシアの太守ハールートの婚約者として派遣し、機関技術を提供した。彼らとしては砂漠都市を重機関都市へと変貌させ体よく操り、未知世界の版図を広げるための橋頭保にするつもりだったが《ホラー・エンド》によりその目論見が明るみに出たことで失敗する。 SFFでの活動 『愛する人の肖像』にて、アステア家による大逆が濡れ衣と判明したことで公子カルベルティのアステア家復興を許可する。なお、アステア家はサザン家に次いでエイダ・マタイオス派閥についたことで帝国のパワーバランスに変化が生じた。 登場作品 蒼天のセレナリア -What a beautiful world- 蒼天のセレナリアファンディスク 白光のヴァルーシア -What a beautiful hopes- 結社と帝国の大将同じなはずなのに咬み合ってなさ過ぎぃ! -- 名無しさん (2013-10-22 11 59 27) そもそもトートさん何がやりたいか不明だから -- 名無しさん (2013-10-22 12 20 45) 名前 コメント 合計: - 今日: - 昨日: -
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2048.html